私と解離性障害の記録

私がこれまで歩いてきた人生の記録

機能不全家族

f:id:EasterEgger:20220220191631j:plain

父の好きな飲み屋街




私の家族

私の家族は完全なる機能不全家族です。今現在私は結婚して、実家を離れていますので、ここに書く事は生まれてから、結婚し実家を離れるまでの記録になります。

 

私の家族はいわゆる機能不全家族。父親は家族構成でも書いたように重度のアルコール依存症。母は自分に全く興味関心を持たない、愛情を持たない非情なサイコパス的気質の祖母に育てられているので、強烈なヒステリー。そして、私はADHD。この内で唯一まとものな人間は、3歳年上の兄と、3歳年下の妹。当時は三匹ほど猫も飼っていました。

 

私の父親

私の父親は、絵に描いたように外面の良い人でした。人がいいと言うのか?単なるお人よしと言うのか?外に一歩出れば、すぐに若い子を見つけてはその子に鼻の下を伸ばしている様な父親でした。言ってみれば根っからの女好きという所です。私が小さい頃、父親は殆ど毎日の様に家の近くにあったコンビニへとたばこを買いに行きました。

幼心にも、何故こうして毎日毎日コンビニへ行くのか?私にとっては謎でした。でも、ついて行けば、いつも飴やガムを買ってもらえる。それが嬉しくて、私は毎日の様に父について行きました。

 

小さい頃は何かがわかるようでいて何もわからなかったのですが、今思えば父は毎日コンビニで働くかわいい店員さんに会いに行っていたのだと思います。いつも、コンビニにいくと、そこで働いているかわいい店員さんたちに話しかけ、そしてその鼻の下をこれでもかというほどに伸ばしていたのを、父の足元からよく見上げていたことを覚えています。

私の父は、その足元で早く帰ろう!という幼い私の声よりも、目の前にいるかわいい子との会話の方が大切な人でした。よくわからないけれど、何かが嫌。そういった印象をいつも父に抱いていたのはよく記憶しています。

 

私の父親は家に養子として入ってきました。なので、家ではさぞかし居心地が悪かったのだと思います。家には祖母がいて、一から百まで父のすること、母のする事に口を出します。なので毎日私の家の中には強烈な緊張感がありました。

 

そんな父が唯一リラックスする事が出来ているな、自然体だなと思える時が、このコンビニにいて、若い子と話をしている時でした。大人になった今色々な事を思い出してみれば、父はにとってあのコンビニは心の置き場だったのかもしれません。

 

毎日、毎日、雨の日も、そして雪の日も通い続ける。そして、毎日たばこを買う。幼い私から見ても、父の目的はたばこを買う事ではないことくらい一目瞭然でした。父の目的はコンビニの店員さんと話をする事でした。そこにきっと精神の安らぎみたいなものを見出していたんだと今なら思えます。それほどに、父の精神は常に窮屈な状態に縛られていたのだと思います。

 

私の父は7人兄弟。そして彼はその一番末っ子。なのでもう典型的な甘えん坊です。自分で何かしなくても、いつも上には沢山お兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんが全て助けて守ってくれた。だから、父は自分から能動的に何かをしようという性格ではなく、いつも待ってさえいれば、皆が自分の為にその全てをしてくれるとそう思っている様な人でした。

なので、ただ自分のしたい事をしたいようにするというような性質を持っている人でした。自分のしたい事をしたいようにして、後の事は皆、上のお兄ちゃんたちが尻拭いをしてくれる。だから、ある意味何にも縛られない自由な人でもありました。母は、父のそういった自由な性格に惚れて結婚を決めたと言っていました。

 

父はこうした性格の為に、自分のしたい事は沢山あって、誰よりもそれをしようという行動力は強くありましたが、何をしたとしても、その後片づけがどうしてもできません。何でも、やったらやりっぱなしだし、自分で自分のやったことのつけを払おうとしませんでした。

 

そういう意味においては本当に自分の好きに自由に生きる事が出来た人だと思います。

 

そんなに自由奔放に生きている父でも、家に帰ってくれば首根っこを掴まれた子猫の様に毎日小さく縮こまっていました。家には自分の居場所がなかったのだと思います。そして、この居場所のなさが、父をお酒に走らせました。

 

彼は毎晩酒を飲んでは暴れまくりました。玄関を蹴って破壊してみたり、ふろ場を壊してみたり。夜中なのに、大声で叫び続けたり。その内容はいつも、私たち家族に向けられたものでした。

 

「この家は皆がお偉いさんで、何も私は言えません。みなさん偉くて偉くて、私の居場所など何処にもありません。すいませんねえ、すいませんねえ。」そう言っては酔って幼い私たちの寝ている部屋のふすまをその足で何度も蹴り上げました。

 

私はADHDという症状を持っていましたが、当時はそんな病名はありませんでした。私は父がふすまを蹴ったり、玄関のガラスを蹴って破壊したりするときの音が怖くていつもしっかりと両手で自分の耳をしっかりと塞いでいたことを昨日の様に覚えています。私は聴覚過敏も持っていたので、大きな音は私の心にとってとても大きなストレスでした。

 

父は昼間はとてもいい父親、一歩外に出れば、仲間思いのとてもフレンドリーないい奴として通っていました。周囲の人は皆私の父を本当にいい人だ!とよく言っていたのを覚えています。とにかく恐ろしいほどに外ずらの良い人でした。

 

外であれだけ外ずらよく生きている事の反動なのか何なのかは知りませんが、家に帰ってくると、彼は酒を飲んで一気に全くの別人に変貌します。そして、大声で叫んでは家を破壊します。私の父はそう言う人でした。

 

幼い私は父の中にいつも異なる二つの人格が存在する、そんな様に思っていました。そしていつも心の中では夜の怖い父親が出てこなければこの人はいい人なのにとそう思っていました。

 

なので、父を夜になると変貌させてしまう酒というものが私は幼い頃から憎くて憎くて仕方がありませんでした。酒が一体どういったものかはわからない。でも、その酒を飲むと、父は冷静さを失い、いつもの面白くて楽しくて優しい父ではなくなる。幼い私は父を憎む事は出来ず、父を自分の中で正当化する為に、その怒りを酒という対象に写し、その酒が全て悪いんだとそう思っていました。父を正当化し、そして、自分の中で酒を悪者にしていたという事になります。

 

そうまでしても、幼かった私は父という存在を自分の中で肯定したかったのだと思います。私は幼い頃から、母よりも父に似ていると世間では言われ、それが意外にも自分の中での誇りでもありました。よくわからないけれど、お母さん似だねと言われるよりも、お父さん似だねと言われる事の方が嬉しかったことを強く記憶しています。

 

そんな父っだったので私は、一生懸命酒を悪者にして、父を自分の中で肯定しようとしていました。父は良い人で、悪いのはその良い人である父を悪い人に変えてしまう酒だ。そんな風に小さかった頃の私は思っていました。

 

父の性格的気質まとめ

  • 気が小さい
  • 甘えん坊
  • 無責任
  • 自由
  • 女好き
  • お人よし
  • 外ずらが良い
  • 内弁慶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分ブログ始めます。

 

f:id:EasterEgger:20220220175908j:plain



 

 

はじめに

はじめまして。kotohaと言います。今日から自分ブログ少しずつはじめていく事にしました。よろしくお願いします。

 

自分のの事を書くというのは、なかなか大変な事で、一体何から書き出したらいいのかわからずにいましたが、とりあえず、自分の書ける事から、気持ちの整理もしながら書いて行けば、自分についての新しい発見や、主観的になっている自分をより客観的な視点でとらえる事も出来る様になるのではないかと思って、毎日ではありませんが、すこしづつ自分の言葉で自分を書きつづっていこうと思います。

 

このブログでは自分がどのような経過を辿って、そして解離性障害になっていったのか?そしてどのようにして自分の中に自分とは個別の人格が生まれたのか?についてその経緯を書いていけたらと思っています。

 

簡単な自己紹介

私は自分の中に異なる人格を持っています。いくつか自分の中には自分を支えてくれるサポート人格というのが存在しているのですが、このいくつもある私のサポート人格の中で一番大きな部分を占めている存在がいます。彼は歳をとった大変な智慧に溢れた存在(老人)で私に色々な事を教えてくれます。どのように人生を生きて行ったらいいのか?この世界は一体どうなっているのか?人間の意識とは?など。この内的存在者と私が出会ったのは、もう今から20年ほど前からです。

 

現在は彼の言葉を毎日書き続けています。彼に教えてもらったことを毎日筆記し、そしてその検証をここ10年近く続けています。

 

彼によって語られる多くの事はしっかりとした理論体系を持っていて、様々な分野の理論と多くの共通点を持っています。私が毎日している事は、一歩外に出てみれば、精神異常者の単なる個人的な妄想に過ぎないという事で世間では片づけられてしまいますが、私は彼の教えてくれる多くの智慧に大きな意味とその可能性を感じています。なので今も、世間では自動書記と言われる事を続けながら、その検証、論証を日々行っています。

 

家族構成

兄弟

  • 妹 (私は長女)

家族形態

私について